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愛知県碧南市まで、うどんを打ちに行って来ました。
以前より、時々手打うどんの写真をアップしていたのを見て、ぜひ食べてみたいとのリクエストだったもので。


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釜バターうどん

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厚節うどん
(共に撮影はスタッフの岡野さん・・・写真拝借します~)
以前より、仲良くさせていただいている書家の森脇友理先生の自選展を観に行った際に、そのまんま彼女の運営している発達傷害のある子供たちの為のNPO施設にお邪魔したのですが、その時に、僕のアップする手打うどんが美味しそうねという話になり、みんなで食べてみたいとのリクエストが出て来て…、

今回ようやく実現できました。


豪快ながらも繊細で、とっても魅力的な、森脇友理先生運営するNPO法人ARTIST JAPAN(アーティスト・ジャパン)は発達傷害のある子供たちの為の施設で、ご自身 発達傷害かも?って感じている友理先生の思いから、芸術を通じて子供たちの教育、療育する事を目標に立ち上げた施設です。

その後、この3月22日にして欲しいとの話があり、早々と休日申請を出していました。
まあ、いつもの事ながら、僕の予想通り、3月22日前後は出張続きとなり、更に22日も出て欲しいとの話もあったのですが、ここだけは何が何でも休みを死守。


何しろ、子供たちの為ですから。

美味しいか、美味しくないかはともかく、純粋な子供たちとの約束だけは破っちゃダメですからねぇ。


最初、娘と行くつもりだったのですが、実家の農業を手伝う予定が入り、女房にお願いして同行してもらいました。

まあ、本人には言えませんが、こちらはデート気分…(おいおい…) 
(ほんっと、いつもいつも、すみませんねぇ)

仕事のせいで、準備もお願いする事になってしまい、大変ご迷惑をお掛けしました。m(_ _)m


鍋、うどん、調味料など大半の準備は出来るものの、さすがにコンロとガスだけは無理で、これは施設の方でご準備願いました。

うどん作るのには、火力が大事で、ここだけは譲れないものですから…


21日はよりによって、仕事が遅くなり、帰宅したのは夜10時。

それからうどんを仕込んで、朝7時に出発。

3時間のドライブ。


渋滞には巻き込まれなかったものの、到着したのは予定通りの10時でした。

11時半にはお迎えが来る子供がいるという事で、大慌てで準備開始。


計3.6kgの粉を準備したのですが、取り急ぎひとつ目のうどん玉を延ばして切って…

部屋には代わる代わる先生に連れられて、子供たちが見学に…


とっても好い子たちでしたけど…

子供たちの内、早く帰る予定の3人分を先行して湯がいて出して、残りの3人には少しうどんを踏んでもらいました。

ちょっと楽しんでもらえたかな?


最初、オリジナルメニューの厚節うどんを出したのですが、大好評を博したらしく、次々にお代わりが出たのだとか。

続いて、釜バターうどん、釜玉うどんをお見舞いし、先生方と残りの子供たちにも準備して順次ご馳走しました。


あっちこっちから、「美味しい!!」って言ってもらえたのが、何よりでした。

その後、少し友理先生たちと歓談。


こちらも最高に楽しい時間をもらう事が出来ました。

また、機会があればやりましょうね。


うどん作りに忙しすぎて、写真全く撮れず…(残念)


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【2018/03/31 23:06】 | ひとりごと
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日頃僕のやってる仕事はメンテナンス仕事なのだけど、時々本当に腹が立つ機械に出会う事があります。

基本的には汎用品であり、その多くは一品ものでも基本設計は比較的簡単で、よほど特殊な用途に使われない限りどうって事は無いのですが、全密閉タイプだとかだと、そのケーシングの不具合やら、設計ミスやらで整備出来ないなんて状況に直面します。

今回出張して整備してきた機械もそんな機械で、カバーはごく一部を除いて取り外し不可。
極小の小さな点検窓がついているだけ…
或いはボルト取りの取り外しが難しい大きなカバーが着いている等…

大抵は設計段階でユーザーが費用を出し渋り、コストダウンを迫られた結果、整備のし難い構造のものとなるのを余儀なくされている事が殆どです。

そして、困った事に、そうした機械に限って、点検もままならず、ユーザー自身での整備も行われず、壊れたらメーカーもしくはメンテナンス会社任せとなってしまいます。

そこで発生する費用の方が、遥かに大きいにも関わらず、大抵は工事費用の値引きを迫って、安値で請け負わせ、整備は行ったものの、事後点検もしないから、すぐに故障してしまう悪循環に陥ってしまいます。

そもそも高価な設備には、それなりに理由があります。

理想からいえば、故障しない機械が一番なのですが、やはり理想に過ぎず、大抵は定期的なメンテナンスが必要になってきます。

長く使うなら、機械的な損耗、老朽化もある訳ですから…

そうなると、点検し易く、整備が楽な機械こそが、より理想に近い機械という事になります。

この辺が購買の人間には理解出来ないらしく、イニシャルで安い機械を購入しては、高い修理代をふんだくられるという目にあう訳です。

逆に新機軸のアイデアをふんだんに取り入れ、他に無い優れた性能を誇示していても全く故障を起こさねば優れた機械と言えますが、なかなか理想通りには行きません。


大抵、設計上で新機軸を取り入れれば、それが故障の原因となってしまう確率の方が遥かに高いのです。

汎用品の場合は特にそうで、ある程度枯れた技術を纏めたものと、新機軸の技術を取り入れたものだと、大抵は古い技術をそつなく纏めたものが勝利してしまいます。

今回の出張工事の件で言えば、巨大なカバーを外してじゃないと整備が出来ず、日頃から点検もされていない。
開いてみると別な場所が壊れている。
それを治そうとすると、今度は他の箇所が邪魔になり作業そのものが出来ない…

しかも、安っすい費用しか取っていないから、工事もそれ以上の事が出来なくなってしまう…

技術的に解決出来る問題であれば、提案も厭わないのですが、さすがに今回はそれさえ躊躇してしまう様な状態でした。


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【2017/12/19 16:49】 | ひとりごと
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神戸開港150年記念の海フェスタに行って来ました。

お目当ては帆船。
日程の関係で日本丸は観る事が出来なかったけど、外国船を含めて4隻の帆船を見学する事が出来ました。

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ロシア帆船 パラダ(左) 韓国帆船 コリアナ(右) 夜景

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ロシア帆船 パラダ(左) 韓国帆船 コリアナ(右) 昼景

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練習帆船 海王丸(奥) 帆船 みらいへ(手前) 夜景

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練習帆船 海王丸(奥) 帆船 みらいへ(手前) 昼景
元々は7月16日に観に行く予定だったのですが、7月16日所用が入り家族で愛知県まで出掛ける事になりました。
そして、予定を振り替え17日に神戸港へ観に行く予定にしていたのですが、愛知県からの帰り道、女房が「夜もライトアップしているらしいよ。」というので、折角だからと観に行く事に。

京橋で高速を降り、会場に近いフェリー乗り場近くのコインパーキングに車を停め、いざ!

ロシアの帆船パラダ(つづりからはパルラーダの方が発音が近いのかも。)韓国帆船コリアナのライトアップに感動。
少し歩いて、神戸市所有の帆船みらいへ と海王丸。
夜の満艦飾なんて初めてのものですから、手持ちながら写真を撮りまくりました。(笑)

畑仕事にすっかり疲れ果ててた娘が、眠たいからと言うので、後ろ髪を引かれる思いで帰りましたけど…

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ロシア帆船 パラダ
1989年6月竣工 総トン数 2,248t 全長 108.6m 全幅 14m 航海速力 11.6ノット(約21.5km/時) 定員 144名(実習生) 
(会場の案内板より)

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韓国帆船 コリアナ
1995年竣工 総トン数 135t 全長 41m 全幅 6.6m 航海速力 9ノット(約16.5km/時) 定員 66名(実習生) 
(会場の案内板より)

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神戸港夜景

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帆船 みらいへ
1993年3月竣工 総トン数 230t 全長 52.16m 全幅 8.6m 航海速力 9ノット(約16.5km/時) 定員 40名(旅客) 
(会場の案内板より)

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みらいへと神戸港夜景

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みらいへ越しに市章山を望む

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みらいへ越しの神戸港夜景

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練習帆船 海王丸
1989年9月竣工 総トン数 2,556t 全長 110.09m 全幅 13.8m 航海速力 12.95ノット(約24km/時) 定員 130名(実習生) 
(会場の案内板より)

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翌朝、早めに出発する事に。

朝早くなら混み合う前に観られるかなぁと考えて、家族に相談。
娘は眠たいからとパス。

女房とふたりで行く事にしました。

混んでるかな?と思っていたのですが、早朝7時過ぎにはまだまだ余裕。

前日と同じ駐車場に車を停め、歩いて見物に。

朝観ると船全体にはためく満艦飾が素敵です。

この日は船内見学も出来るとの事で、混んでいたらロシア帆船パラダと韓国帆船コリアナだけにしようかとも思っていたのですが、海王丸まで行ってみると、まだ行列も無い状態。
「これなら大丈夫かもね。」と10人ほどの待ち合いの列らしいグループの後に並びました。
しばらくしてミーティングを済ませたスタッフがカラーコーンを並べ始めました。

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練習帆船 海王丸

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帆船みらいへ には巨大なこいのぼりが掲げられました。

8時半頃に並んだのですが、案外少ないなぁ…と思っていて、ふと後を振り向いたら長蛇の列!!
早めに来て、正解でした。

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帆船 みらいへ には大きな鯉のぼりが掲げられました。
既に海王丸見学の為の、すっごい行列…



9時少し過ぎから見学スタート。

大型船の海王丸、パラダは上甲板のみの見学でした。

海王丸(2代 1989年完成)ですが、先代 海王丸の神戸港出港を観た事があるだけに感慨もひとしお。
木甲板の様子や、丁寧に磨き上げられた装備品の数々は観ているだけで楽しめました。

軍艦ファンとしては、参考になる事ばかり。
特に英海軍の軍艦を参考に建造された日本海軍の軍艦の場合、共通点が多く、木甲板の貼り方や、色合い、各装備品の構造、塗粧など、わくわくしながら見学しました。

ロープワークの為の滑車の外装は木製なのも興味深いものでした。(同じ部品がロシア船はSUS製だったものですから。)

木甲板の材質が気になって、「チーク材ですかね?」と乗員の方に質問したのですが、知らないとの事。
ちょっと残念。
椰子の実を半分に切ったものが幾つか置いてあったのですが、聞くと甲板掃除の為のもの。
これで磨き上げるそう。

「大変そうですね?」
「大変なんです…(笑)」

その表情から甲板掃除は本当に大変な様です。

真鍮製の美しく磨き上げられたキャプスタンの装飾や、銘板類、船首の女神像も含め、もう建造されてから30年近く経つというのに素晴らしいコンディションでした。

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イギリス海軍や、日本海軍の軍艦とも共通点の多い木甲板。
端部の仕上げ方法やタールで目止めした板の貼り方など、大変勉強になりました。

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甲板上にはヤシの殻が置いてあります。

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これで甲板を磨くのだとか…

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キャプスタン(巻上機)の上面は真鍮製の飾り板が取り付けられていますが、顔が写り込むくらい丁寧に磨き上げられています。

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キャプスタン 白いテープで隠していますが、上部の穴に棒を入れてロープを巻き上げる機械です。

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号鐘とその下に見えるのがキャプスタンを回す為の棒

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羅針盤(コンパス)

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舵輪

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壁に取り付けてある真鍮製の扇型のものは角度計

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航行中には20度も傾く時もあるそうです。
(絶対に立っていられない…)


続いて帆船みらいへ へ。
こじんまりとした船ですが、こちらも素晴らしいコンディションでした。

船内も見学可能だったのですが、狭い通路に無駄なくコンパクトに纏められた居住区
朝、早く観たいばかりに何も食べていなかったのですが、ちょうど炊事をしていて、すっかりお腹が空いてしまい、女房と顔を見合わせ苦笑い。

木製の調度品が素敵でした。

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みらいへの前甲板

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帆船 みらいへの船橋

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帆船 みらいへの寝室

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帆船 みらいへの食堂

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凝った意匠のねずみ返しがありました。



見学時間は午前中は9時から11時までだったのですが、気がつけば10時近く。

残る2隻へと急ぎます。

途中、スタンプラリーのノルマもこなしながら…

3隻目はロシアの帆船パラダ(1989年完成)。
パルラーダの方が発音的には正しそうです。
プチャーチンが日本に開港を迫った際の旗艦が同じ船名で、その後、日露戦争の時に旅順包囲戦で鹵獲した巡洋艦で後、日本海軍の巡洋艦 津軽として使われた軍艦も同じ船名でした。
意外と日本とは縁の深い名前なのかも…

船上ではバラライカを演奏したり、ロープワークの実演をしたり、歓迎ムードたっぷり。
木甲板にはWelcomeの文字や、鐘の下に装飾細工がされていたりと見所満載。
外装塗粧はどこか古の戦列艦をイメージした様なデザインで、舷側のスマートな白いラインに砲門がある様な黒い四角の塗り分けがあったり(本当に大砲が載せられていたら笑いますけどね。)、カッコよさは抜群。

外からはスマートで美しいんですが、乗船してみると海王丸と同い年とは思えないくらい傷みも目立ちました。
完成後にあったソ連崩壊、その後のロシアの激動の歴史のせいか、そもそも厳しい自然の中にいるせいかは判りませんけども。

何となく、小説『坂之上の雲』の中で司馬遼太郎さんが描いていた、日露戦争前の日本海軍の軍艦とロシア海軍の軍艦の様子の違いを思い出していました。

でも、ロシアの乗員の皆さん、すっごく人懐っこくて素敵でした。

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パラダのサイドビュー 戦列艦の舷側砲の格納扉の様な意匠がカッコいい!!

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この甲板のデザインは素直にカッコ良いと思いました。

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号鐘の下にもカッコいい細工がされています。

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各地へ寄港したイベントのペイントが誇らしげ。

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バラライカの演奏があったり…

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ロープワークの教授をしていたり…

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前甲板はシアー(舳先への反り)が大きくて、舳先に向かうのは結構大変。

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錨見台 ここから錨の様子を確認します。

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歓迎ムードで和みます。

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船橋のグレーチング 昔の軍艦にもほぼ同様のもの(木製)があったのは知っていたのですが、結構怖い。

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帆船 パラダの蛇輪

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羅針盤(コンパス)

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後甲板にいた練習生。カメラを向けるとポーズを取ってくれました。
透き通るような白い肌に、紅いほっぺたの純朴そうな青年でした。



最後は韓国帆船コリアナ

乗船した帆船の中で一番小さいという事もあったのですが、乗船して「う~~~ん」とうなってしまいました。

何はともあれ韓国クオリティ。

何かチグハグなんです。

満艦飾の電飾の配線に家庭用のコンセントそのまんま使ってるし…(漏電しないか?これ…)

船の格としては豪華ヨットってところなので致し方ないのかも知れませんが…

何しろ、船内の調理場のすぐ横が工作用の道工具置場で清潔感の欠片も無いし…
ゴミ入れと思しきバケツなんかも放り出されたまんまで、片付けてもいないし…
清潔さを前面に押し出した様な海王丸や、みらいへ、各部の傷みは致し方ないものの、精一杯のおめかしを決め込んだパラダと比べるとねぇ…

ちょっと可愛そうな船でした。

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左舷側に道工具のスペース

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その反対側が調理スペースってのはどうしたものでしょうね?



お腹もペコペコだったので、元町へ出て、老祥紀の豚まんを食べつつ、おかみさんと海フェスタの話をし、帰宅。
船好きにはたまらない一日でした。

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消防艇も出動

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デモ放水を行ってくれました。

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タグボートも満艦飾

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最後は老祥紀で豚まんをブランチに…(笑)


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【2017/08/18 22:20】 | ひとりごと
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先日、水曜どうでしょうの藤村ディレクターのお母さん(通称 かあちゃん)にお会いした際に聞いた話。
今度発売になる、『水曜どうでしょう』のDVDに収録予定の『屋久島 耐久24時間』。

かあちゃんの故郷なんですよね。
それも、栗生が生まれ故郷なんですと!

名セリフのひとつ
「そのジャージ 栗生んじゃね?」は、まさにその場所なんだそうです。

最初の対決場所となるタイドプールも、かあちゃんが幼少期に貝を採ったり、魚を採ったりしてた場所そのものとの事。

チーム戦ながらも、遅れて到着予定のnoちゃんが居ない為、たった一人で健闘する大泉さん。
しかし、応援し続けるも、あまりの獲物の採れなさに、業を煮やした かあちゃん が
「大泉くん!こっちに沢山居るよ!」
「あんた、何してんのよ!」
と大声を出すものだから、
「うるせぇ、ばばあ!」
と藤村Dとは場外戦になったんだとか…(笑)

また、夜釣り対決の場となった橋。
大昔は小さな吊り橋で、小さな子供も一緒に飛び込める場所だったらしいのですが、番組中に出てくるのは立派な橋。
かあちゃんは、大泉さんや、やすけんに
「おい!あの橋に行ったら、飛び込んで魚採ってこい!」
と言っていたそうで、後でくだんの橋を見て、慌てたそうな。
「もう少しで、やすけん殺すとこだった…」

そうそう、前もって、かあちゃんが屋久島入りをしてるとの話が出てきますが、番組の為に帰ったつもりだったのに、HTBからは行きも帰りも、一切交通費貰ってないそうです。

そんな、『水曜どうでしょう~屋久島耐久釣りバカ対決』ですが、
絶対に買って視てください!
と言ってました。

確か、タイドプールの時には、かあちゃん少し映ってるんですよね。

ぜひ!
買ってくださいね。

【2017/07/06 23:28】 | ひとりごと
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三式戦闘機 飛燕

神戸ポートターミナルで11月3日まで展示されていた 川崎 三式戦闘機 飛燕 Ⅱ型改(キ61)を見てきました。

元々は試作17号機にあたる機体で、戦後三菱の零戦52型と共に自衛隊基地に展示され、その後各地を転々として最近まで知覧の特攻平和会館に展示されていました。

この度、各務原へ移され、改装中の『かかみがはら航空宇宙科学博物館』で恒久展示されるのに伴い、生まれ故郷(正確にはエンジンの方ですが…)の神戸で修復、復元を行い、そのお披露目で展示されたものです。

三式戦闘機 飛燕はドイツの名戦闘機メッサーシュミットBf109E~Fと同じダイムラーベンツDB601エンジン(飛燕に搭載したのはそのライセンス国産したハ-40)を搭載し、優れた性能を期待された戦闘機でした。

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俯瞰で

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側面から

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主翼の縦横比(アスペクト比7.2)が大きく、細長い主翼が特徴的

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液冷エンジンのおかげで非常にスリムな機首


特に現存機のⅡ型改は改良型のハ-140エンジンを搭載し、最高速度610km、高度10000mでも編隊飛行が可能と言われ、大いに活躍を期待されていました。

当初、日本陸軍から川崎飛行機に出された条件は、輸入ライセンス生産したダイムラーベンツDB601を使用した単座戦闘機を作れと言うもので、2種類の戦闘機を作れと要望が出されました。

その機体とは、当時の流行もあって

キ60 重戦闘機 重武装の高速戦闘機

キ61 軽戦闘機 軽快な運動性能を有し、格闘戦闘を行う戦闘機

という住み分けでした。

設計に当たった土井武夫氏はまずキ60から設計を始めます。

20mm機関砲2門、12.7mm機関砲2門を搭載し、二段引き込み脚、引き込み式ラジエーターを備えたキ60は最高速度560kmを発揮して、陸軍の期待に大いに応えた戦闘機でした。
当時輸入されたメッサーシュミットBF109E、また当時開発が続けられていた中島飛行機のキ44(後の二式単座戦闘機 鐘馗)との性能比較ではほぼ同等の評価がなされました。

その後、引き続いて設計されたキ61は軽量に纏められ、12.7mm機関砲2門、7.7mm機関銃2門と軽武装ながら、エンジン架の構造簡素化、引き込み脚の改良、ラジエーターの改良などを進めた機体として完成しました。

土井武夫氏はキ61は軽戦闘機というより、中戦闘機ともいうべき、両者の好いところを組み合わせた戦闘機として設計したと言われています。

テストの結果、最高速度590km、格闘能力、上昇力共に優れキ60を上回る性能を発揮して陸軍の関係者を大いに喜ばせました。

キ61として作られた試作機は模擬空戦でメッサーシュミットBf109Eを圧倒し、晴れて正式採用され三式戦闘機 飛燕となりました。

しかし、当時の日本の工業力ではドイツの進んだ技術を取り入れたダイムラーベンツDB601のライセンス生産は極めて難しいものでした。

当時から飛行機用のエンジンは幾つも研究開発が行われていましたが、日本の場合、空冷式の航空用エンジンが主流でした。
これは前面投影面積は大きくなるものの、軽量でかつ簡単な構造である事から、空冷式エンジンが好まれたと言われています。
一方、戦闘機の場合、液冷式エンジンの方が有利と言われていました。
それは前面投影面積が小さくなり、空気抵抗が低減される事から、速度発揮に有利という事で、ヨーロッパでは特に液冷式エンジンの搭載機が多く作られました。
しかし、日本の場合、液冷式エンジンとなると海外のエンジンのライセンス生産品が中心で比較的経験も浅いものでした。

当時飛行機用エンジンを作る会社としては、中島飛行機(寿、光、栄、護、誉エンジンなどの空冷エンジン)、三菱(金星、瑞星、火星、ハ42、ハ43などの空冷エンジン)、川崎(BMWの国産化したハ9等、DB601を国産化したハ40/ハ140)、愛知飛行機(DB601を国産化した熱田など)がありましたが、全て新規開発したエンジンを作れたという訳ではなく、海外の製品をコピーしてその改良を地道に続けていたという方が正しいところでした。

ここでダイムラーベンツDB601のライセンス生産した会社が2つあるのですが、日本陸軍が川崎飛行機に、日本海軍が愛知飛行機にそれぞれ別個にライセンス権を取得させ、それぞれに改良生産していたと言います。
日本政府としてライセンスすれば、ライセンス料も半分で済んだ筈で、ヒトラーも日本の海軍、陸軍の中の悪さを笑ったと言われています。

ところで日本の航空工業に関わらず、日本の場合、基礎技術研究が疎かになっており、特に冶金、材料研究において欧米に大いに遅れをとっており、また工作機械の性能、数共に充分とはいえない状況でした。

そんな中、DB601のクランクシャフトにはニッケル鋼が使われていましたが、軍側からニッケルの使用を制限され、その結果、クランクシャフト由来の故障が多発しました。
またクランクシャフトを支えるのに当時としては珍しいローラーベアリングが使われていたのですが、肝心のベアリングローラーの精度が低く、回転不良を起こしてエンジンを焼きつかせたり、燃圧低下、油漏れ、漏電などトラブルが頻発したと伝えられています。

ともかくも生産が開始され、当時最前線であったニューギニアに進出した際には空輸途中で引き返さざるを得なくなった機体が続出し、また過酷な前線では飛べる機体が無くなってしまったという逸話もあります。

しかし、比較的整備設備、部品の入手が簡単であった国内の防空戦に投入されてからはかなりの活躍を見せています。

当時の日本の工業力では高性能のエンジンを支えるだけの工業力、国力が無かったからだと言えます。

同じエンジンをドイツから輸入してライセンス生産したイタリアでは馬力こそ低下したものの、信頼性では劣らず、闘えたといいますから、やはり底辺の技術力の差が大きかったと言わざるを得ません。

そんな飛燕ですが、正直スタイル良くて好きな機体です。

エンジンさえまともに回れば向かうところ敵無しだったとも伝えられています。

生産数は全部で約3000機。

そのうちの99機が今回展示してあるⅡ型改でした。

制式採用された当初は12.7mm機関砲2門、7.7mm機関銃2門の軽戦闘機(Ⅰ型甲)でしたが、前線からの要望で徐々に兵装強化を行い、12.7mm機関砲4門装備の乙型、ドイツから弾丸ごと輸入したマウザー(モーゼル)20mm機関砲2門を翼内装備した丙型(一部は甲型、乙型からの改造)と強化されていきます。
面白いのはエンジン共々ドイツと縁が深いのか、輸入したドイツ製機関砲を装備した点。
大型の敵機も一撃で撃墜できたとの事で、軍も20mm機関砲の搭載を望む様になります。

ところが、ようやく完成した日本製の機関砲は大きすぎて飛燕の薄くて容積の小さな翼に納まりきらない事が判明します。
残る手段としては胴体砲として装備するしかない訳ですが、するとどうしてもプロペラの回転する隙間を20mmの弾丸を通すしか方法がなくなります。
当時、12.7mm機関砲までは胴体装備をしていた機体はあったのですが、当たれば簡単に敵機をも破壊してしまう20mm機関砲の弾丸をプロペラに同調させる事は難しく(現に日本海軍は最後までこれを恐れて、20mm機銃は翼内装備としていました。ちなみに日本陸軍では12.7mm以上の機関銃を機関砲と呼びましたが、海軍は口径に関係なく機銃と呼んでいました。)
八方塞がりになるのですが、川崎の技術者が奮闘して、短時間で同調装置を完成させ、無事20mm機関砲の胴体内装備を完成させます。(Ⅰ型丁)

その後、エンジンの改良が進められ、馬力アップを果たしたハ140が完成(ハ40 1100馬力→ハ140 1400馬力)そのエンジンを搭載した改良型(Ⅱ型)が試作されます。
エンジン、胴体、主翼も新型になりますが、予定の性能が出ず、主翼をⅠ型のものに戻し、制式採用されます。
これが今に残る唯一の 飛燕 Ⅱ型改です。

しかし、エンジンの改良は進められていたものの、生産は遅々として進まず、信頼性の向上もなかなか望めませんでした。
エンジンは生産を続けていたものの機体に搭載できる良品ができず、生産は遅延しはじめ、さらに空襲で工場が被災してしまいます。

機体の生産は続けられていましたから約400機もの首なし機体が工場に並ぶ事態になり、とうとうエンジン交換を余儀なくされてしまいます。
選ばれたのは空冷式エンジンの三菱製 金星エンジン(陸軍名ハ112)
もともとスリムな機首に大きな空冷式エンジンを取り付けるのは至難の業でした。
胴体から主翼付け根を大きく覆う様なフェアリングをつけたりと大改造になるのですが、完成した機体が試験飛行をしたところ、最高速こそ低下したものの(610km→580km)、格闘性能、上昇性能ともに良好で、しかも何と言ってもエンジンの信頼性が高くなった事が一番の収穫で、すぐさま五式戦闘機として採用され、首なし機体の改造が進められます。
完成した機体は終戦までの空の守りにつきました。

展示されているⅡ型改は試作17号機(おそらくⅠ型からの通算のはず)ですが、その後、キャノピーを水滴風防にしたものがあって、ごく少数生産された様です。
(個人的にはこの型が一番大好き!)

展示機はエンジン、ラジエーター、防弾版、主計器板などが外され、別展示となっていました。

外板も長年の劣化が目立つ箇所もあり、一部新品のアルミ板に換えられている箇所もあって、塗装を剥がした影響もあるみたいで一部研摩痕もあり、少々チグハグした印象です。
可能であれば、全面外板は張り替えて欲しかったなぁ…なんてムリなお願いをしたくなったほど。
補助翼、垂直尾翼、水平尾翼の動翼(稼動箇所)はきちんと帆布貼りの状態にされています。
イギリスに残る五式戦闘機を実地調査して、材料まで調べて再現したそうです。

エンジンはともかく、飛燕の機体設計は優れたものでした。

第二次世界大戦の最優秀戦闘機として名高いノースアメリカンP-51と比べても、その共通性が垣間見えます。
しかし、基礎技術の研究を疎かにした事が少しずつ性能をスポイルしているのも事実です。

例えばラジエーターの空気取り入れ口。
P-51とほぼ同じ位置にありながら、単純な形で境界層の空気の乱れの抑制が出来ておらず、効率を下げていたと言われています。
エンジン過給器の空気取り入れ口にはその片鱗が見えるだけに何故そうしなかったのか残念に思います。

また、ご自慢のラジエーター、オイルクーラー一体式の冷却器でしたが、一体式の為に逆に整備性が悪かったとの評価も見られます。

でも、そういった数々のウィークポイントがあっても、デザインの素晴らしさ、美しさは飛燕の評価を下げるものではないでしょう。



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コックピットをやや後方から ファーストバックスタイルながら比較的後方視界はよさそう。
コックピット後方には陸軍単座戦闘機の特徴のひとつ、荷物扉があります。
別の機種ですが、ここから人を乗せて脱出したなんて逸話もあります。

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同じく右後方から、こちらには扉がありません。

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後方から

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垂直尾翼。
ここは基本的に空力的な制約が少ないそうで設計者のデザインの特徴が出やすく、川崎飛行機の土井武夫氏のデザインに共通するスタイルです。(95式戦闘機、キ-27試作戦闘機、キ-60試作戦闘機、キ-64試作戦闘機、キ-88試作戦闘機など)
また、動翼(可動部分)はいずれも金属骨組みにキャンバス(帆布)貼りで当時の飛行機の特徴です。

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正面から(やや俯瞰ですけど…)
機首上面が黒く塗られているのは反射防止の為。
この部分はおかしな部品に交換されていたそうで、新造されています。

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飛燕に狙われたら、機首の20mm機関砲と主翼の12.7mm機関砲の餌食です。

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前方視界も良さそうです。

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飛燕の心臓部ハ-140エンジン

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ドイツのダイムラーベンツDB601をライセンス生産し、その性能向上を狙ったハ-140エンジン

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このエンジンの工作精度の低さそのものが飛燕の命運を分けたと言っても過言ではないでしょう。

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倒立V型12気筒エンジンでドイツのオリジナルではプロペラシャフトに機関銃を装備する事もできました。

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下側にシリンダーヘッドがある為、整備性の向上を目指したデザインではあったようです。
日本の場合はあまりうまくいきませんでしたが…

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空気過給機。
いわゆるスーパーチャージャーの一種ですが、そのインペラー部分の分解展示。
これに燃料噴射装置を組み合わせているのがDB601の特徴でした。

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ラジエーター
3層式で、両側が冷却液用、中央がエンジンオイル用、重量は150kgにもなるそうです。
左端の真鍮製のものはラジエーターコアの一部を再現した模型。

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ラジエーターを後方から

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側面

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上部に給排用の口が付きます。

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ラジエーターコアはハニカム形状(六角形)の真鍮管をロウ付けした構造になっています。

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ラジエーターコアの模型
実際に持たせてもらいましたが、かなりずっしりと重いものです。
0.6mm厚の真鍮製

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ラジエーターコアの複製品を手に説明するプロジェクトリーダー。
飛燕の復元は余暇を利用して、寝る間も惜しんでの作業だったそうです。
お疲れ様でした。

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コックピット内の配電盤(左)と後部の防弾板(右)
当時の日本の戦闘機の防弾設備は充分ではなく、飛燕には防弾板の装備はされていましたが、上半身の部分を防御する程度のもので大きさも、厚みも不充分なものでした。

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エンジンの推力式単排気管。
エンジン排気を圧力を高めるようにして排気する事で推進力の向上を目指していました。
また排気管の上側には水平に板が飛び出ていますが、これは排気管からの炎を見えにくくする為のもの。
夜間などに炎の光に幻惑されるのを防ぐ為のものです。

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飛燕の操縦席(コックピット)
エンジン排気管の上の出っ張りはエンジン吸気口
この形はメッサーシュミットよりも優れているのに…

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窓ガラスはプレキシガラス製(いわゆるアクリル板)

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前部風防。Ⅰ型とはこの部分の形状も違っていました。

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前下方視界も良さそうです。

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主翼前縁のオレンジ塗装は味方識別塗装(戦争後期の陸海軍共通)
左翼には着陸灯があります。

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着陸灯の右側にある開口部が翼内機関銃の銃口部

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ラジエーター収容部
位置は重心に近いし、文句無しなのですが、吸排気部の処理がいまひとつなのが残念なところ。

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エンジンの吸気口はちゃんと境界層対策もされた構造になっているのに…

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左翼に取り付く速度検知装置のピトー管
この先の細くなっている部分がどれだけ押し込まれるかで速度を測る装置です。
これも壊れていたのでイギリスの兄弟機五式戦闘機のものを計測して作り直したそうです。

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引き込み式の主脚。
このカバーの形も川崎飛行機の単座戦闘機独特の形状をしています。

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尾輪。
こちらは残念ながら引き込み式ではなく、固定で左右回転だけできる方式。
(海軍機はほとんど引き込み式でしたが、陸軍では効果の割には装置が大きく重くなるのを嫌ったようです。)
尾輪の前に丸い穴が開いていますが、これは地上で機体の取り回しが必要な時に棒を差し込んで、人力で持ち上げて機体の方向移動をする為のもの。(笑)


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【2016/11/13 19:07】 | ひとりごと
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