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三式戦闘機 飛燕

神戸ポートターミナルで11月3日まで展示されていた 川崎 三式戦闘機 飛燕 Ⅱ型改(キ61)を見てきました。

元々は試作17号機にあたる機体で、戦後三菱の零戦52型と共に自衛隊基地に展示され、その後各地を転々として最近まで知覧の特攻平和会館に展示されていました。

この度、各務原へ移され、改装中の『かかみがはら航空宇宙科学博物館』で恒久展示されるのに伴い、生まれ故郷(正確にはエンジンの方ですが…)の神戸で修復、復元を行い、そのお披露目で展示されたものです。

三式戦闘機 飛燕はドイツの名戦闘機メッサーシュミットBf109E~Fと同じダイムラーベンツDB601エンジン(飛燕に搭載したのはそのライセンス国産したハ-40)を搭載し、優れた性能を期待された戦闘機でした。

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俯瞰で

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側面から

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主翼の縦横比(アスペクト比7.2)が大きく、細長い主翼が特徴的

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液冷エンジンのおかげで非常にスリムな機首


特に現存機のⅡ型改は改良型のハ-140エンジンを搭載し、最高速度610km、高度10000mでも編隊飛行が可能と言われ、大いに活躍を期待されていました。

当初、日本陸軍から川崎飛行機に出された条件は、輸入ライセンス生産したダイムラーベンツDB601を使用した単座戦闘機を作れと言うもので、2種類の戦闘機を作れと要望が出されました。

その機体とは、当時の流行もあって

キ60 重戦闘機 重武装の高速戦闘機

キ61 軽戦闘機 軽快な運動性能を有し、格闘戦闘を行う戦闘機

という住み分けでした。

設計に当たった土井武夫氏はまずキ60から設計を始めます。

20mm機関砲2門、12.7mm機関砲2門を搭載し、二段引き込み脚、引き込み式ラジエーターを備えたキ60は最高速度560kmを発揮して、陸軍の期待に大いに応えた戦闘機でした。
当時輸入されたメッサーシュミットBF109E、また当時開発が続けられていた中島飛行機のキ44(後の二式単座戦闘機 鐘馗)との性能比較ではほぼ同等の評価がなされました。

その後、引き続いて設計されたキ61は軽量に纏められ、12.7mm機関砲2門、7.7mm機関銃2門と軽武装ながら、エンジン架の構造簡素化、引き込み脚の改良、ラジエーターの改良などを進めた機体として完成しました。

土井武夫氏はキ61は軽戦闘機というより、中戦闘機ともいうべき、両者の好いところを組み合わせた戦闘機として設計したと言われています。

テストの結果、最高速度590km、格闘能力、上昇力共に優れキ60を上回る性能を発揮して陸軍の関係者を大いに喜ばせました。

キ61として作られた試作機は模擬空戦でメッサーシュミットBf109Eを圧倒し、晴れて正式採用され三式戦闘機 飛燕となりました。

しかし、当時の日本の工業力ではドイツの進んだ技術を取り入れたダイムラーベンツDB601のライセンス生産は極めて難しいものでした。

当時から飛行機用のエンジンは幾つも研究開発が行われていましたが、日本の場合、空冷式の航空用エンジンが主流でした。
これは前面投影面積は大きくなるものの、軽量でかつ簡単な構造である事から、空冷式エンジンが好まれたと言われています。
一方、戦闘機の場合、液冷式エンジンの方が有利と言われていました。
それは前面投影面積が小さくなり、空気抵抗が低減される事から、速度発揮に有利という事で、ヨーロッパでは特に液冷式エンジンの搭載機が多く作られました。
しかし、日本の場合、液冷式エンジンとなると海外のエンジンのライセンス生産品が中心で比較的経験も浅いものでした。

当時飛行機用エンジンを作る会社としては、中島飛行機(寿、光、栄、護、誉エンジンなどの空冷エンジン)、三菱(金星、瑞星、火星、ハ42、ハ43などの空冷エンジン)、川崎(BMWの国産化したハ9等、DB601を国産化したハ40/ハ140)、愛知飛行機(DB601を国産化した熱田など)がありましたが、全て新規開発したエンジンを作れたという訳ではなく、海外の製品をコピーしてその改良を地道に続けていたという方が正しいところでした。

ここでダイムラーベンツDB601のライセンス生産した会社が2つあるのですが、日本陸軍が川崎飛行機に、日本海軍が愛知飛行機にそれぞれ別個にライセンス権を取得させ、それぞれに改良生産していたと言います。
日本政府としてライセンスすれば、ライセンス料も半分で済んだ筈で、ヒトラーも日本の海軍、陸軍の中の悪さを笑ったと言われています。

ところで日本の航空工業に関わらず、日本の場合、基礎技術研究が疎かになっており、特に冶金、材料研究において欧米に大いに遅れをとっており、また工作機械の性能、数共に充分とはいえない状況でした。

そんな中、DB601のクランクシャフトにはニッケル鋼が使われていましたが、軍側からニッケルの使用を制限され、その結果、クランクシャフト由来の故障が多発しました。
またクランクシャフトを支えるのに当時としては珍しいローラーベアリングが使われていたのですが、肝心のベアリングローラーの精度が低く、回転不良を起こしてエンジンを焼きつかせたり、燃圧低下、油漏れ、漏電などトラブルが頻発したと伝えられています。

ともかくも生産が開始され、当時最前線であったニューギニアに進出した際には空輸途中で引き返さざるを得なくなった機体が続出し、また過酷な前線では飛べる機体が無くなってしまったという逸話もあります。

しかし、比較的整備設備、部品の入手が簡単であった国内の防空戦に投入されてからはかなりの活躍を見せています。

当時の日本の工業力では高性能のエンジンを支えるだけの工業力、国力が無かったからだと言えます。

同じエンジンをドイツから輸入してライセンス生産したイタリアでは馬力こそ低下したものの、信頼性では劣らず、闘えたといいますから、やはり底辺の技術力の差が大きかったと言わざるを得ません。

そんな飛燕ですが、正直スタイル良くて好きな機体です。

エンジンさえまともに回れば向かうところ敵無しだったとも伝えられています。

生産数は全部で約3000機。

そのうちの99機が今回展示してあるⅡ型改でした。

制式採用された当初は12.7mm機関砲2門、7.7mm機関銃2門の軽戦闘機(Ⅰ型甲)でしたが、前線からの要望で徐々に兵装強化を行い、12.7mm機関砲4門装備の乙型、ドイツから弾丸ごと輸入したマウザー(モーゼル)20mm機関砲2門を翼内装備した丙型(一部は甲型、乙型からの改造)と強化されていきます。
面白いのはエンジン共々ドイツと縁が深いのか、輸入したドイツ製機関砲を装備した点。
大型の敵機も一撃で撃墜できたとの事で、軍も20mm機関砲の搭載を望む様になります。

ところが、ようやく完成した日本製の機関砲は大きすぎて飛燕の薄くて容積の小さな翼に納まりきらない事が判明します。
残る手段としては胴体砲として装備するしかない訳ですが、するとどうしてもプロペラの回転する隙間を20mmの弾丸を通すしか方法がなくなります。
当時、12.7mm機関砲までは胴体装備をしていた機体はあったのですが、当たれば簡単に敵機をも破壊してしまう20mm機関砲の弾丸をプロペラに同調させる事は難しく(現に日本海軍は最後までこれを恐れて、20mm機銃は翼内装備としていました。ちなみに日本陸軍では12.7mm以上の機関銃を機関砲と呼びましたが、海軍は口径に関係なく機銃と呼んでいました。)
八方塞がりになるのですが、川崎の技術者が奮闘して、短時間で同調装置を完成させ、無事20mm機関砲の胴体内装備を完成させます。(Ⅰ型丁)

その後、エンジンの改良が進められ、馬力アップを果たしたハ140が完成(ハ40 1100馬力→ハ140 1400馬力)そのエンジンを搭載した改良型(Ⅱ型)が試作されます。
エンジン、胴体、主翼も新型になりますが、予定の性能が出ず、主翼をⅠ型のものに戻し、制式採用されます。
これが今に残る唯一の 飛燕 Ⅱ型改です。

しかし、エンジンの改良は進められていたものの、生産は遅々として進まず、信頼性の向上もなかなか望めませんでした。
エンジンは生産を続けていたものの機体に搭載できる良品ができず、生産は遅延しはじめ、さらに空襲で工場が被災してしまいます。

機体の生産は続けられていましたから約400機もの首なし機体が工場に並ぶ事態になり、とうとうエンジン交換を余儀なくされてしまいます。
選ばれたのは空冷式エンジンの三菱製 金星エンジン(陸軍名ハ112)
もともとスリムな機首に大きな空冷式エンジンを取り付けるのは至難の業でした。
胴体から主翼付け根を大きく覆う様なフェアリングをつけたりと大改造になるのですが、完成した機体が試験飛行をしたところ、最高速こそ低下したものの(610km→580km)、格闘性能、上昇性能ともに良好で、しかも何と言ってもエンジンの信頼性が高くなった事が一番の収穫で、すぐさま五式戦闘機として採用され、首なし機体の改造が進められます。
完成した機体は終戦までの空の守りにつきました。

展示されているⅡ型改は試作17号機(おそらくⅠ型からの通算のはず)ですが、その後、キャノピーを水滴風防にしたものがあって、ごく少数生産された様です。
(個人的にはこの型が一番大好き!)

展示機はエンジン、ラジエーター、防弾版、主計器板などが外され、別展示となっていました。

外板も長年の劣化が目立つ箇所もあり、一部新品のアルミ板に換えられている箇所もあって、塗装を剥がした影響もあるみたいで一部研摩痕もあり、少々チグハグした印象です。
可能であれば、全面外板は張り替えて欲しかったなぁ…なんてムリなお願いをしたくなったほど。
補助翼、垂直尾翼、水平尾翼の動翼(稼動箇所)はきちんと帆布貼りの状態にされています。
イギリスに残る五式戦闘機を実地調査して、材料まで調べて再現したそうです。

エンジンはともかく、飛燕の機体設計は優れたものでした。

第二次世界大戦の最優秀戦闘機として名高いノースアメリカンP-51と比べても、その共通性が垣間見えます。
しかし、基礎技術の研究を疎かにした事が少しずつ性能をスポイルしているのも事実です。

例えばラジエーターの空気取り入れ口。
P-51とほぼ同じ位置にありながら、単純な形で境界層の空気の乱れの抑制が出来ておらず、効率を下げていたと言われています。
エンジン過給器の空気取り入れ口にはその片鱗が見えるだけに何故そうしなかったのか残念に思います。

また、ご自慢のラジエーター、オイルクーラー一体式の冷却器でしたが、一体式の為に逆に整備性が悪かったとの評価も見られます。

でも、そういった数々のウィークポイントがあっても、デザインの素晴らしさ、美しさは飛燕の評価を下げるものではないでしょう。



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コックピットをやや後方から ファーストバックスタイルながら比較的後方視界はよさそう。
コックピット後方には陸軍単座戦闘機の特徴のひとつ、荷物扉があります。
別の機種ですが、ここから人を乗せて脱出したなんて逸話もあります。

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同じく右後方から、こちらには扉がありません。

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後方から

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垂直尾翼。
ここは基本的に空力的な制約が少ないそうで設計者のデザインの特徴が出やすく、川崎飛行機の土井武夫氏のデザインに共通するスタイルです。(95式戦闘機、キ-27試作戦闘機、キ-60試作戦闘機、キ-64試作戦闘機、キ-88試作戦闘機など)
また、動翼(可動部分)はいずれも金属骨組みにキャンバス(帆布)貼りで当時の飛行機の特徴です。

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正面から(やや俯瞰ですけど…)
機首上面が黒く塗られているのは反射防止の為。
この部分はおかしな部品に交換されていたそうで、新造されています。

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飛燕に狙われたら、機首の20mm機関砲と主翼の12.7mm機関砲の餌食です。

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前方視界も良さそうです。

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飛燕の心臓部ハ-140エンジン

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ドイツのダイムラーベンツDB601をライセンス生産し、その性能向上を狙ったハ-140エンジン

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このエンジンの工作精度の低さそのものが飛燕の命運を分けたと言っても過言ではないでしょう。

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倒立V型12気筒エンジンでドイツのオリジナルではプロペラシャフトに機関銃を装備する事もできました。

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下側にシリンダーヘッドがある為、整備性の向上を目指したデザインではあったようです。
日本の場合はあまりうまくいきませんでしたが…

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空気過給機。
いわゆるスーパーチャージャーの一種ですが、そのインペラー部分の分解展示。
これに燃料噴射装置を組み合わせているのがDB601の特徴でした。

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ラジエーター
3層式で、両側が冷却液用、中央がエンジンオイル用、重量は150kgにもなるそうです。
左端の真鍮製のものはラジエーターコアの一部を再現した模型。

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ラジエーターを後方から

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側面

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上部に給排用の口が付きます。

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ラジエーターコアはハニカム形状(六角形)の真鍮管をロウ付けした構造になっています。

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ラジエーターコアの模型
実際に持たせてもらいましたが、かなりずっしりと重いものです。
0.6mm厚の真鍮製

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ラジエーターコアの複製品を手に説明するプロジェクトリーダー。
飛燕の復元は余暇を利用して、寝る間も惜しんでの作業だったそうです。
お疲れ様でした。

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コックピット内の配電盤(左)と後部の防弾板(右)
当時の日本の戦闘機の防弾設備は充分ではなく、飛燕には防弾板の装備はされていましたが、上半身の部分を防御する程度のもので大きさも、厚みも不充分なものでした。

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エンジンの推力式単排気管。
エンジン排気を圧力を高めるようにして排気する事で推進力の向上を目指していました。
また排気管の上側には水平に板が飛び出ていますが、これは排気管からの炎を見えにくくする為のもの。
夜間などに炎の光に幻惑されるのを防ぐ為のものです。

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飛燕の操縦席(コックピット)
エンジン排気管の上の出っ張りはエンジン吸気口
この形はメッサーシュミットよりも優れているのに…

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窓ガラスはプレキシガラス製(いわゆるアクリル板)

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前部風防。Ⅰ型とはこの部分の形状も違っていました。

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前下方視界も良さそうです。

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主翼前縁のオレンジ塗装は味方識別塗装(戦争後期の陸海軍共通)
左翼には着陸灯があります。

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着陸灯の右側にある開口部が翼内機関銃の銃口部

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ラジエーター収容部
位置は重心に近いし、文句無しなのですが、吸排気部の処理がいまひとつなのが残念なところ。

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エンジンの吸気口はちゃんと境界層対策もされた構造になっているのに…

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左翼に取り付く速度検知装置のピトー管
この先の細くなっている部分がどれだけ押し込まれるかで速度を測る装置です。
これも壊れていたのでイギリスの兄弟機五式戦闘機のものを計測して作り直したそうです。

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引き込み式の主脚。
このカバーの形も川崎飛行機の単座戦闘機独特の形状をしています。

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尾輪。
こちらは残念ながら引き込み式ではなく、固定で左右回転だけできる方式。
(海軍機はほとんど引き込み式でしたが、陸軍では効果の割には装置が大きく重くなるのを嫌ったようです。)
尾輪の前に丸い穴が開いていますが、これは地上で機体の取り回しが必要な時に棒を差し込んで、人力で持ち上げて機体の方向移動をする為のもの。(笑)


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【2016/11/13 19:07】 | ひとりごと
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