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僕の作るフィギュアの塗装って結構、雑だと思っています。
事、顔の塗装はそうじゃないかと感じています。

市販の商品など随分と綺麗な塗装で、中には義眼が入れてあって、動かして表情を作る事が出来るものなんてのもある訳なのですが、正直僕は好きじゃありません。
リアルと言うよりは、気持ち悪いんですよねぇ。

僕の作るフィギュアの場合、基本的に1/12スケールという、いわゆるドールハウスサイズのフィギュアなので、そこまで作り込めない(作り込まない)からでもあるのですが、眼がリアル過ぎると、逆にフィギュアに動きが演出できないからでもあるのです。

これは舞台芸術を切り取った絵を多く手掛けているロバート・ハインデルの作品などにも言える事だと思います。

彼の作品って、正直かなりラフな絵なんですよねぇ。

しかし、不思議な事に見る角度、見る位置によって、素晴らしい動きが生まれて、あたかも絵の中の人たちが動き出す様に見えてきます。

昔、フランス ル・アーブル美術館の作品を、大阪梅田のナビオ阪急にあったナビオ美術館で展示した小さな展覧会があったのですが、その時に見た小品の絵画にすっかり度肝を抜かれた事があります。

作者の名前を覚えておらず(たぶんブーダンの作品ではなかったかと思うのですが…)、すっかり感動してグッズの絵はがきも買ったのですが、それも行方不明なので今となっては確かめようがありません。


その絵は非常に小さな作品で、B5版くらいのサイズの絵でした。

そして、そこには川辺の草原で草を食む2頭の牛が描かれていました。

かなりラフなタッチで描かれた牛の絵なのですが、良く見ると牛の顔の眼も、口も荒っぽいタッチで、全くリアルじゃありません。
それどころか、その眼や口の形すら荒っぽい筆遣いのせいでハッキリしないのです。

しかし不思議な事に、ほんの少し離れた場所から眺めると、川辺で牛が草を食みくつろいでいます。
牛の表情までリアルに見えてくるのです。

正直、これは何なんだと困惑しました。

牛が動いて見える…。


ロバート・ハインデルの作品を見た時にも感じた事なのですが、これは人の眼の為せる業を逆利用した手法だと思っています。

人の眼は見たものをそのまま映し出すのではなく、脳内で処理されている映像を見ています。
従って、実際に見えているものと異なる映像が頭に浮かんでしまうと言う事が起こりえます。

よく斜線の沢山描かれた中にある長さの違う直線や、角度の違う机の絵で同じ形を選べなんてイジワルなクイズがあるでしょ。
あれと同じで、人は見たものを脳内処理して、それまでの経験則から近いものを割り出して判断している訳です。
従って、その経験則から外れてしまうと、判断を誤ったり、とても気持ちの悪い状態になってしまったりする訳です。
交通事故の良く起こる場所が、そうした視覚上のトリックがある場所だったりしますよね。

話を戻しますが、僕の場合、フィギュアの塗装に当たっては、かなりラフな仕上げをしていると思います。
眼の塗装も、綺麗に描きこむのではなく、意図的に視線をずらすと動きが出来る様なそんな塗装を心がけています。
だから、見る角度によって、動きが生まれれば、それで正解。
成功だと思っています。

絵画で言うと、古典派の画家の作品って、綺麗だけど、まるで精気を感じません。
写真とも違う、動きはないし、まるで魂そのものが抜け出した様な絵が多い気がします。

翻って、印象派の作品だとラフなタッチの筆遣いが好きかどうかは別として、比較的動きのある作品が多い様に感じます。
少なくとも古典派の絵画よりは生き生きしたイメージに繋がっている様なそんな気がしています。

出来る事ならば、ポーズは変えられないけど、だからこそ、そのワンカットのシーンを切り出して、動きのあるフィギュアにしたいと思っています。
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市販の商品など随分と綺麗な塗装で、中には義眼が入れてあって、動かして表情を作る事が出来るものなんてのもある訳なのですが、正直僕は好きじゃありません。
リアルと言うよりは、気持ち悪いんですよねぇ。

僕の作るフィギュアの場合、基本的に1/12スケールという、いわゆるドールハウスサイズのフィギュアなので、そこまで作り込めない(作り込まない)からでもあるのですが、眼がリアル過ぎると、逆にフィギュアに動きが演出できないからでもあるのです。

これは舞台芸術を切り取った絵を多く手掛けているロバート・ハインデルの作品などにも言える事だと思います。

彼の作品って、正直かなりラフな絵なんですよねぇ。

しかし、不思議な事に見る角度、見る位置によって、素晴らしい動きが生まれて、あたかも絵の中の人たちが動き出す様に見えてきます。

昔、フランス ル・アーブル美術館の作品を、大阪梅田のナビオ阪急にあったナビオ美術館で展示した小さな展覧会があったのですが、その時に見た小品の絵画にすっかり度肝を抜かれた事があります。

作者の名前を覚えておらず(たぶんブーダンの作品ではなかったかと思うのですが…)、すっかり感動してグッズの絵はがきも買ったのですが、それも行方不明なので今となっては確かめようがありません。


その絵は非常に小さな作品で、B5版くらいのサイズの絵でした。

そして、そこには川辺の草原で草を食む2頭の牛が描かれていました。

かなりラフなタッチで描かれた牛の絵なのですが、良く見ると牛の顔の眼も、口も荒っぽいタッチで、全くリアルじゃありません。
それどころか、その眼や口の形すら荒っぽい筆遣いのせいでハッキリしないのです。

しかし不思議な事に、ほんの少し離れた場所から眺めると、川辺で牛が草を食みくつろいでいます。
牛の表情までリアルに見えてくるのです。

正直、これは何なんだと困惑しました。

牛が動いて見える…。


ロバート・ハインデルの作品を見た時にも感じた事なのですが、これは人の眼の為せる業を逆利用した手法だと思っています。

人の眼は見たものをそのまま映し出すのではなく、脳内で処理されている映像を見ています。
従って、実際に見えているものと異なる映像が頭に浮かんでしまうと言う事が起こりえます。

よく斜線の沢山描かれた中にある長さの違う直線や、角度の違う机の絵で同じ形を選べなんてイジワルなクイズがあるでしょ。
あれと同じで、人は見たものを脳内処理して、それまでの経験則から近いものを割り出して判断している訳です。
従って、その経験則から外れてしまうと、判断を誤ったり、とても気持ちの悪い状態になってしまったりする訳です。
交通事故の良く起こる場所が、そうした視覚上のトリックがある場所だったりしますよね。

話を戻しますが、僕の場合、フィギュアの塗装に当たっては、かなりラフな仕上げをしていると思います。
眼の塗装も、綺麗に描きこむのではなく、意図的に視線をずらすと動きが出来る様なそんな塗装を心がけています。
だから、見る角度によって、動きが生まれれば、それで正解。
成功だと思っています。

絵画で言うと、古典派の画家の作品って、綺麗だけど、まるで精気を感じません。
写真とも違う、動きはないし、まるで魂そのものが抜け出した様な絵が多い気がします。

翻って、印象派の作品だとラフなタッチの筆遣いが好きかどうかは別として、比較的動きのある作品が多い様に感じます。
少なくとも古典派の絵画よりは生き生きしたイメージに繋がっている様なそんな気がしています。

出来る事ならば、ポーズは変えられないけど、だからこそ、そのワンカットのシーンを切り出して、動きのあるフィギュアにしたいと思っています。
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【2016/11/06 14:47】 | 模型製作
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