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チハ車

九七式中戦車

(TEAM NACS 第16回 本公演 舞台『PARAMUSHIR』に出てくる戦車について)


第二次世界大戦での、日本陸軍の主力戦車。
皇紀2597年(昭和12年、西暦1937年)採用で、制式年号から下二桁を採って九七式と名付けられました。










皇紀とは、神話時代の神武天皇以下、歴代天皇の治世年数を足したもので、戦前の日本の年号のひとつとして用いられました。
有名な日本海軍の戦闘機 零戦(ゼロ戦)も、制式採用が皇紀2600年にあたる昭和15年(西暦1940年)だった事から、制式名称 零式艦上戦闘機、略して零戦と呼ばれました。

1920年代に国産戦車の試作を始めた日本陸軍は1929年に初の制式戦車の開発に成功し、八九式中戦車として採用されます。
当初、軽戦車として開発された同戦車でしたが、開発中に各種の要望を盛り込むうちに、重量10tを越えてしまい、中戦車として類別されます。

初期型の甲型、改良型の乙型を含め、初期の日本陸軍戦車部隊の主力とされますが、車体重量11~12t、短砲身57mm砲、機関銃2丁、路上最高速度25km/h、装甲12mmという、その性能はお世辞にも褒められたものではありませんでした。

歩兵支援戦車にも関わらず、路上最高速度が遅過ぎ、トラック輸送により、より機動力の増した歩兵についていく事が出来ませんでした。その為、より機動力を増した戦車が必要との要望から新たな戦車が開発されます。

それがチハこと、九七式中戦車です。
チハとは3番目に計画された中戦車の意味で、チは中戦車、ハはイロハ順で3番目を指します。
因みにこの略号はその後も使われています。
制式化されたものですと、
(チイ) 八九式中戦車 甲型
(チロ) 八九式中戦車 乙型
チハ 九七式中戦車
チへ 一式中戦車
チヌ 三式中戦車
チト 四式中戦車(試作車)
チリ 五式中戦車(試作車)
といった具合。
間に計画だけ、あるいは試作のみに終ったものもあるので、一部欠番があります。
(八九式中戦車は当初の計画名称がイ号戦車でした。軽戦車として試作され、その後、中戦車に類別されたものなので、符号は後からの便宜上のものです。)

また、チヌ 三式中戦車はイロハ順で行くと、チト 四式中戦車や、チリ 五式中戦車よりも後になりますが、チト、チリの実用化に時間が掛かると考えられ、一式中戦車を改良した、中継ぎとして計画されたので、計画符号が逆になっています。


九七式中戦車(チハ)は、重量15t、短砲身57mm砲、機関銃2丁、路上最高速度38km/h、装甲25mmという性能でした。

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九七式中戦車(チハ) 戦車第11連隊 1945年 占守島



ただ、この性能は、当時の世界の戦車のトレンドからは、既に遅れたものでした。

当時、世界の戦車は戦車対戦車の闘いを想定したものに変化してきており、塹壕戦を前提とした歩兵支援戦車の発想そのものが疑問視されてきていました。

戦車開発をしていた多くの国が、より強武装、高速、そして重装甲を備えた戦車の開発を行っていきます。

そうした中、1939年に始まった第二次世界大戦初頭、ドイツがポーランド侵攻にあたって採った電撃戦は、航空兵力と連係した高機動力の戦車と、機械化(自動車化)された歩兵が連係して敵を攻撃、蹂躙するというもので、その圧倒的な効果に世界中が驚かされます。
電撃戦の前にポーランドは1ヶ月も持たず、降伏したのですから。

ただ、九七式中戦車の開発は第二次世界大戦よりも数年前。
そこまでの情報収集と、時代の趨勢に対する先見の明は無かったと言えます。
むしろ、チハ車の計画当時、チニ車としてより軽装甲、軽武装の戦車を作ろうとしたくらいなのですから。
チハ車は軍の用兵側からの要望に沿ったもので、チニ車は軍令部からの要望で計画されました。
軍令部としては、予算上、高価となるチハ車より、安いチニ車を大量装備する方が良いと考えていたのでした。
しかし、日中間の戦闘が激化し、予算面の問題がクリアできた事から、チハ車が採用となりました。
ところが、そのチハ車でも、既に時代遅れでしかありませんでした。

1941年の太平洋戦争開始後、九七式中戦車は日本陸軍の主力として各地に進撃しますが、その戦闘は困難を極めました。

決して機動力が優れているわけではなく、薄い装甲(場合によっては重火器でも装甲に穴が開いたと言われていますし、大口径砲の至近弾でも破壊されたと言われています。)、初速が遅く、破壊力にかける主砲。

これしか無かったとはいえ、九七式中戦車は、あまりにも貧弱過ぎました。

アメリカ軍の主力であるM3、M4中戦車にまったく歯が立たないどころか、軽戦車のM3スチュワートに対しても互角に戦えず苦戦しています。
ましてや、世界最強といわれた、ソビエト陸軍の装備するT34戦車などには足元にも及びませんでした。

そんな、九七式中戦車でしたが、作戦がはまれば、幾度か見事な勝利を得ています。
大戦初期のマレー半島攻略作戦、そして、大戦後の占守島の戦い。
いずれも相手にまともな戦車が無かったからとは言えますが、優秀な戦車兵の努力、奮闘ゆえの勝利だったと言えます。

初速の遅い57mm砲の威力不足から、生産途中で長砲身の47mm砲装備の新砲塔タイプが作られ、九七式中戦車改(チハ改、もしくは新砲塔チハ)と呼ばれました。

しかし、その九七式中戦車改も完成当時には既に旧式と言わざるを得ませんでした。

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九七式中戦車改(新砲塔チハ/チハ改) 戦車第11連隊 1945年 占守島

日本陸軍の場合、九七式中戦車以降の後継車の開発、生産がままならなかった事が、戦車戦での犠牲を大きくしたと言えます。
結果として九七式中戦車/九七式中戦車改は2123両作られ日本陸軍の文字通り主力戦車でした。
(一式中戦車は150両程度、三式中戦車は60両しか生産されませんでした。)

ただ、相手にあのT34戦車がいなかったからとは言え、大戦後のソビエトの侵略を防いだのが、この戦車だったのも事実です。

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占守島の防衛任務に就いていた九七式中戦車と九七式中戦車改
(砲塔の形、大きさがかなり異なるのが判ると思います。)
砲塔には11連隊を示す十一を図案化した士のマークが描かれていました。

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ちなみに戦車の砲塔とはこの部分を指します。
劇中のセリフで「砲塔は無事か?」はまだしも、「外した砲塔は使えるか?」はありえませんな。
前線での砲塔取り外しとなるととんでもない労力を要しますし、砲身を外して武装解除としています。
あのセリフだけは納得できなかったなぁ…

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ちなみに砲身とはこの赤いまるで囲った部分。
大砲の砲身を指します。
これを砲塔とは言いません。
劇中これを運ぶシーンも出てきます。

まさか砲筒の間違い?
これならほうとうと読めなくは無いけど…
どうも納得いかない…

それと戦車が動けなくなった場合、擱座(かくざ)と言います。
頓挫(とんざ)だと意味が違っちゃうんだけど…

漢字読めないからなぁ
りぃ~だあ~は・・・

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皇紀とは、神話時代の神武天皇以下、歴代天皇の治世年数を足したもので、戦前の日本の年号のひとつとして用いられました。
有名な日本海軍の戦闘機 零戦(ゼロ戦)も、制式採用が皇紀2600年にあたる昭和15年(西暦1940年)だった事から、制式名称 零式艦上戦闘機、略して零戦と呼ばれました。

1920年代に国産戦車の試作を始めた日本陸軍は1929年に初の制式戦車の開発に成功し、八九式中戦車として採用されます。
当初、軽戦車として開発された同戦車でしたが、開発中に各種の要望を盛り込むうちに、重量10tを越えてしまい、中戦車として類別されます。

初期型の甲型、改良型の乙型を含め、初期の日本陸軍戦車部隊の主力とされますが、車体重量11~12t、短砲身57mm砲、機関銃2丁、路上最高速度25km/h、装甲12mmという、その性能はお世辞にも褒められたものではありませんでした。

歩兵支援戦車にも関わらず、路上最高速度が遅過ぎ、トラック輸送により、より機動力の増した歩兵についていく事が出来ませんでした。その為、より機動力を増した戦車が必要との要望から新たな戦車が開発されます。

それがチハこと、九七式中戦車です。
チハとは3番目に計画された中戦車の意味で、チは中戦車、ハはイロハ順で3番目を指します。
因みにこの略号はその後も使われています。
制式化されたものですと、
(チイ) 八九式中戦車 甲型
(チロ) 八九式中戦車 乙型
チハ 九七式中戦車
チへ 一式中戦車
チヌ 三式中戦車
チト 四式中戦車(試作車)
チリ 五式中戦車(試作車)
といった具合。
間に計画だけ、あるいは試作のみに終ったものもあるので、一部欠番があります。
(八九式中戦車は当初の計画名称がイ号戦車でした。軽戦車として試作され、その後、中戦車に類別されたものなので、符号は後からの便宜上のものです。)

また、チヌ 三式中戦車はイロハ順で行くと、チト 四式中戦車や、チリ 五式中戦車よりも後になりますが、チト、チリの実用化に時間が掛かると考えられ、一式中戦車を改良した、中継ぎとして計画されたので、計画符号が逆になっています。


九七式中戦車(チハ)は、重量15t、短砲身57mm砲、機関銃2丁、路上最高速度38km/h、装甲25mmという性能でした。

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九七式中戦車(チハ) 戦車第11連隊 1945年 占守島



ただ、この性能は、当時の世界の戦車のトレンドからは、既に遅れたものでした。

当時、世界の戦車は戦車対戦車の闘いを想定したものに変化してきており、塹壕戦を前提とした歩兵支援戦車の発想そのものが疑問視されてきていました。

戦車開発をしていた多くの国が、より強武装、高速、そして重装甲を備えた戦車の開発を行っていきます。

そうした中、1939年に始まった第二次世界大戦初頭、ドイツがポーランド侵攻にあたって採った電撃戦は、航空兵力と連係した高機動力の戦車と、機械化(自動車化)された歩兵が連係して敵を攻撃、蹂躙するというもので、その圧倒的な効果に世界中が驚かされます。
電撃戦の前にポーランドは1ヶ月も持たず、降伏したのですから。

ただ、九七式中戦車の開発は第二次世界大戦よりも数年前。
そこまでの情報収集と、時代の趨勢に対する先見の明は無かったと言えます。
むしろ、チハ車の計画当時、チニ車としてより軽装甲、軽武装の戦車を作ろうとしたくらいなのですから。
チハ車は軍の用兵側からの要望に沿ったもので、チニ車は軍令部からの要望で計画されました。
軍令部としては、予算上、高価となるチハ車より、安いチニ車を大量装備する方が良いと考えていたのでした。
しかし、日中間の戦闘が激化し、予算面の問題がクリアできた事から、チハ車が採用となりました。
ところが、そのチハ車でも、既に時代遅れでしかありませんでした。

1941年の太平洋戦争開始後、九七式中戦車は日本陸軍の主力として各地に進撃しますが、その戦闘は困難を極めました。

決して機動力が優れているわけではなく、薄い装甲(場合によっては重火器でも装甲に穴が開いたと言われていますし、大口径砲の至近弾でも破壊されたと言われています。)、初速が遅く、破壊力にかける主砲。

これしか無かったとはいえ、九七式中戦車は、あまりにも貧弱過ぎました。

アメリカ軍の主力であるM3、M4中戦車にまったく歯が立たないどころか、軽戦車のM3スチュワートに対しても互角に戦えず苦戦しています。
ましてや、世界最強といわれた、ソビエト陸軍の装備するT34戦車などには足元にも及びませんでした。

そんな、九七式中戦車でしたが、作戦がはまれば、幾度か見事な勝利を得ています。
大戦初期のマレー半島攻略作戦、そして、大戦後の占守島の戦い。
いずれも相手にまともな戦車が無かったからとは言えますが、優秀な戦車兵の努力、奮闘ゆえの勝利だったと言えます。

初速の遅い57mm砲の威力不足から、生産途中で長砲身の47mm砲装備の新砲塔タイプが作られ、九七式中戦車改(チハ改、もしくは新砲塔チハ)と呼ばれました。

しかし、その九七式中戦車改も完成当時には既に旧式と言わざるを得ませんでした。

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九七式中戦車改(新砲塔チハ/チハ改) 戦車第11連隊 1945年 占守島

日本陸軍の場合、九七式中戦車以降の後継車の開発、生産がままならなかった事が、戦車戦での犠牲を大きくしたと言えます。
結果として九七式中戦車/九七式中戦車改は2123両作られ日本陸軍の文字通り主力戦車でした。
(一式中戦車は150両程度、三式中戦車は60両しか生産されませんでした。)

ただ、相手にあのT34戦車がいなかったからとは言え、大戦後のソビエトの侵略を防いだのが、この戦車だったのも事実です。

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占守島の防衛任務に就いていた九七式中戦車と九七式中戦車改
(砲塔の形、大きさがかなり異なるのが判ると思います。)
砲塔には11連隊を示す十一を図案化した士のマークが描かれていました。

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ちなみに戦車の砲塔とはこの部分を指します。
劇中のセリフで「砲塔は無事か?」はまだしも、「外した砲塔は使えるか?」はありえませんな。
前線での砲塔取り外しとなるととんでもない労力を要しますし、砲身を外して武装解除としています。
あのセリフだけは納得できなかったなぁ…

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ちなみに砲身とはこの赤いまるで囲った部分。
大砲の砲身を指します。
これを砲塔とは言いません。
劇中これを運ぶシーンも出てきます。

まさか砲筒の間違い?
これならほうとうと読めなくは無いけど…
どうも納得いかない…

それと戦車が動けなくなった場合、擱座(かくざ)と言います。
頓挫(とんざ)だと意味が違っちゃうんだけど…

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【2018/05/05 23:40】 | ひとりごと
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